へるぱ!

見つめよう!人と介護

第6回 ケアと介護度

みつさんの家を初めて訪れたのは3月中旬だった。古い座敷から見える庭の蝋梅の花に落ちる雨が、冷たい午後のことだった。

みつさんは74歳で小さくて痩せていた。子供には恵まれず、夫が10年前に亡くなってからずっと1人暮らしをしてきた。多発性関節リウマチを患い5年になる。雨の降る日や寒い日は関節が疼き、立ったり座ったりすることが辛いと言った。鍋をつかむことや、包丁を持つこと、びんの蓋を開けることなど、指先が痛くて辛いが、食事の用意も後片付けも2時間かけてしていた。1ヶ月に1度の近医への受診は、杖をつき、転ばないように歩いて行く。ボランティアを利用することを民生委員に勧められたが、他人のお世話になることは気兼ねであった。

その日、私は更新のための認定調査に訪問した。前回は要支援1であるので、1週間に1回、介護予防の訪問介護を利用し、買い物をお願いしていた。玄関とトイレには手すりをつけてもらった。例えば、1群の「洗身」の項目は、自分で洗えるところだけ浴室にて洗う。背中は洗えないけれど我慢、我慢。だから「介助されていない」の選択。2群の「移動」は、不自由ながらも家具や壁などにつかまりながら、ゆっくりと歩く。見守りをされているわけではない。だから、「介助されていない」となる。ズボンの着脱も腰まであがらなくても、疼く指で上げられるところまで。だからこれも「介助されていない」となる。「簡単な調理」も然り。ただ、「買い物」だけは重いものが持てず、ヘルパーさんにお願いしているので「一部介助」である。私は関節のこわばりも我慢の程度も鉛筆で濃く特記事項の紙に書く。

この先、保健施設から次の居住地を探し始める。これまで住んでいた公営住宅には帰れないだろうことを、私はYさんに告げなければならない。保佐の仕事は、財産管理のみではなく、身上監護という大切な役割がある。包括的代理権を有する成年後見人とは異なって、保佐人は一定範囲の限定的な職務権限(同意権・取消権・代理権)を持っているに過ぎないという考え方がある。しかし、それだけでは、守っていけないもの。

2017年4月を目途に、中重度の要介護者や認知症高齢者への対応強化となり、要支援の軽度者の利用制限が始まる。みつさんの訪問介護は、市町村の財源と資源で運営されることになる。住み慣れた地域で気兼ねなく安心して生活するとはどういうことか。本当に必要なものに手が届くケアの仕組みは、どのように進められていくというのか。

花冷えなのだろう。冷たい雨の日は誰も道を歩いていない。この地域は、高齢者ばかりの古い農村である。お互いの安否を案じながらも、夕方早く灯を消すことが当たり前の集落である。

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コラムニスト紹介

向井 洋江

詩人・ケアマネージャー・社会福祉士

プロフィール

1981年豊中市の行政においての在宅福祉のかかわりを機に、シルバー新報に詩とエッセイの連載が12年続く。その後、社会福祉協議会にて、訪問介護や在宅介護支援センターでのコーディネーター・ソーシャルワーカーに携わりながら、詩と随筆集を5冊出版。

幼い日の、母の養老院において働く後ろ姿から感じたものが、現在の福祉現場での仕事と作品につながっている。訪問介護においても、一人ひとりの高齢者がたどってきた生きざまに寄り添う大切な仕事であることを、作品の中で書きつづける。

渋谷区基幹型在宅介護支援センター長、尼崎市園田北地域包括支援センター管理者、ジェイエイ兵庫六甲福祉会在宅事業部長を経て、現在はソーシャルサポート灯(あかり)合同会社代表。NPO法人伊丹アドボカシーネットワーク理事、湊川短期大学・大阪保健福祉専門学校の講師も務める。尼崎市介護保険認定審査会委員、伊丹市障害支援区分認定審査会委員、兵庫県社会福祉士会権利擁護センターぱあとなあ運営委員。

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