へるぱ!

介護から学んだこと

第29回 城の中では言いにくいなぁ       2020/9/9

 大井一郎さん(69歳、仮名、男性、要介護1)はひとり暮らしで、訪問介護サービスを利用しています。入院前までは生活全般を不自由なく、気ままに過ごしていましたが、退院後の生活に支障が出て、買い物や調理、掃除など生活全般に支援が必要になりました。親族はおらず、近くの友人がときどき買い物をしてくれますが、高齢なのであまり頼れません。

 元の生活に戻れるように調理を一緒にします。材料を見ながら、消化の良いものをバランスよくとれるように、体調など確認しながら準備します。69歳とまだ若いので、これから自立した生活をしていく必要があり、調理は欠かせません。できあがりをメモやスマホで残してもらうようにしました。

 最近、大井さんは、訪問介護サービスにも慣れ、会話もスムーズになってきました。初めは沈黙が多く堅苦しい雰囲気でしたが、元の仕事や病気の話をするようになっています。

 材料を切ったり、調理したりする作業を分担しながら行うので時間も早くなりました。 できあがり写真も増え、前回の献立をアレンジしたらこうかな、など工夫ができるようになりました。体調も少しずつ回復し、台所で立っているときのふらつきも少なくなってきました。気になるのは、最初のころに比べると、何となく大井さんの立っている位置とヘルパーである私の距離感が近くなったように感じます。ときどき腕や手と触れることがあり、「こんなに自分のことを気にして作ってくれてうれしい」とにやにやしながら言います。

 サービスを使い始めたころに比べると雰囲気は緩やかになりよい感じになってきましたが、何か勘違いをしているのではないか、サービス利用というより、個人に対して好意を抱いているという感じがふとしたことから感じられます。思い過ごしかもしれませんが、そんな違和感を抱きながらいつものように調理をしていると、ふらつきもないのに立っている位置がだんだん近くなり腕が触れました。勇気を出して「もう少し離れてください」と言うと、「どうして? 切っているのが見えないから」と照れたような顔で言います。

 このままエスカレートしてはいけないと思いながらも、もしかすると本人は意識しておらず、私だけが感じていることで、逆にプライドを傷つけることになるのではないか、と判断に迷います。

 毅然としていなくては、と思うのですが、利用者の城の中にいるとなかなか言いにくい状況がありますね。

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コラムニスト紹介

是枝 祥子

大妻女子大学 名誉教授

プロフィール

昭和39年東洋大学社会学部応用社会学科卒業後、児童相談所、更生相談所、特別養護老人ホーム、在宅介護支援センター、ヘルパーステーション等、数々の現場勤務を経験。

1998年より大妻女子大学人間関係学部人間福祉学科教授で同学部の学部長も務め、現在は同大学名誉教授。

介護職員の研修をはじめ、多くの介護人材育成に携わる。

著書・出版

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