へるぱ!

介護から学んだこと

第14回 生活援助はその人らしい暮らしを支えることを明確に       2016/2/9

 

 玉川春代さん(80歳・仮名・女性)はひとり暮らしです。夫は特養に入所、子ども2人は転勤族で他県に住んでおり、月に1回程度交代で来てくれます。

 

 1年前、玉川さんは風邪が悪化して入院しました。今まで自分で家事をしていましたが、退院後は要支援1と認定され、筋力低下で足元がふらつき、買い物や調理、掃除が困難で、予防訪問介護を利用するようになりました。

 

 外に出ることのない家だけの生活では動きも少なく、転ばないように、と歩き方もそろそろです。運動量は減り、食欲もだんだん少なくなりました。調理はヘルパーと一緒に椅子に座りながらできる部分をやりますが、訪問時間が限られている都合上、ゆっくり調理もできず、ヘルパーがしてしまうことが多いのも現状です。以前はベランダで鉢物の手入れをしたり、散歩や買物、調理、掃除、洗濯と1日のリズムが決まっていましたが、今では安全を優先した暮らしになっています。

 

 それから半年後、玉川さんは要介護1になり、さらに動くことが減りました。調理では、献立は一緒に考えつつも、ヘルパーが作業する姿を後ろから見ていることも増えました。「すまないわね、食べるものを作ってもらうなんてね」という言葉がひっかかります。

 

 「困っていること」=「サービスの提供」。つまり、「買物や調理ができなくなってきた」=「買物、調理という具体的な支援」になるわけです。結果、外に行く機会や品物の選択、味付けや作り方の工夫、出来上がりの達成感、活動の機会までも奪ってしまった感じがしました。

 

 一時的であればいいのですが、現状はその状態が続いています。これでいいのかな、何かできることはないかな、と思いつつ、栄養が偏らないような調理を目指していると、今度は、調理技術の提供や調理すること自体が目的になってしまったようにも感じ、『調理を手段にして玉川さんらしい暮らしの継続を支援する』といった意識が薄れていく気もします。

 

 何のために調理をするのか? アセスメントをきちんとして、調理をする必要性、個別の状況を把握し、具体的に意識できるよう明確にしなければなりません。調理をすることで食べる支援はできても、『個人の能力や意欲を網羅し、暮らしを支えているか』という視点が欠けてしまいがちです。特に生活援助は、サービス提供の考え方、観察視点、配慮点など具体的に文章化しておかないと専門性は薄れてしまうと思うので注意が必要です。

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コラムニスト紹介

是枝 祥子

大妻女子大学 名誉教授

プロフィール

昭和39年東洋大学社会学部応用社会学科卒業後、児童相談所、更生相談所、特別養護老人ホーム、在宅介護支援センター、ヘルパーステーション等、数々の現場勤務を経験。

1998年より大妻女子大学人間関係学部人間福祉学科教授で同学部の学部長も務め、現在は同大学名誉教授。

介護職員の研修をはじめ、多くの介護人材育成に携わる。

著書・出版

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