へるぱ!

今なら語れる「障害を越えて」

第19回 「もう…」それとも「まだ…」

 東日本大震災から7年が経過しました。震災の2年半後には「復興した東日本を見せる」を大看板として、東京へのオリンピック誘致を競合相手国スペイン・トルコから勝ち取りました。IOC会長の発表「トキョー」の歓声を懐かしく感じます。

 さて、本当に復興は進んでいるのでしょうか。最近の報道では東北復興より東京オリンピックが優先され、地元建設業者をはじめとした人手不足に悩まされている現状もあり、復興には「まだ…」ほど遠そうです。あれから「もう…」7年にもなるのに、仮設住宅の居住者もそのまま。被災者が満足する街づくりには、まだまだ時間がかかるのかもしれません。被災者にとって「もう…」でも、「まだ…」でも、大看板のままで終わってもらいたくないことでしょう。

 よく「もう60歳になった。還暦だよ」とお互いの歳を悲嘆したりしますが、これは残りの人生が少ないことを悲しむ意味あいを含んでいます。でも、「まだ…60歳。まだまだ還暦だ」と前向きに捉えると元気になり、残りの人生にも光がさしてくる気がします。「もう…」と「まだ…」、悲観的な人になるか、希望を持つ人になるか、で大きな開きがでてきます。他にも、半分飲み終わったジュースを見て、「もう半分しかないと思うのか、まだ半分あると思うのか」で性格判断されることもあるほど、捉え方次第で見え方が変わるわけです。

 私自身が視覚障害者になった時、「もう私の人生は終りだ。この先、夢も希望もない」と前向きに考えるには程遠い人になりました。閉じこもっていた2年間は、夢も希望も失い、まだ何かすべき事があると気付くまで葛藤し続けた時期は今でも思い出したくもありません。その頃、悲観的な私と前向きな家内との言い争いが連日続きました。しかし、家内は短い期間であっても希望を見いだせる目標を持つことで、自立生活ができる事の大切さを教えてくれました。

 「障害者になって 今だから言える」は同行援護の講座でも話していますが、今では、受講生の皆様とお会いして、情報交換できる日が待ち遠しく、「まだか…」と次回の講座を楽しみにしています。また、健康管理のために始めた毎朝の散歩も今では欠かせません。悲観的に考えていた「もう…」が、1つ目標を持つことで「まだか…まだか…」と希望を得られるものになるのだと教えられました。

 健常者の時には自分の健康が当り前だと考えていましたが、失って初めてその偉大さに気づかされます。失意のどん底から立ち上がることができたのも、自分の気持ち1つなのだ、と反省する「もう…」と「まだ…」でした。皆さんもヘルパーとして「まだか…」をたくさん育んでいって下さい。

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コラムニスト紹介

山田 猛

ガイドヘルパー(視覚障害者)

プロフィール

1941年 中国・元満州国安東省生まれの引揚者。

1969年 立正大学経済学部を卒業後、運輸会社へ入社。航空貨物部門で海外宅配便と新規事業開発で書類宅配便クーリエサービス業務の立上げの責任者となる。のち、ISO品質管理室長として全国支店を飛び回り指導に励む。また会社品質向上を担当。

2000年9月 定年半年前に角膜移植手術を受けるが、移植に失敗。強度の視力障害を持つ中途失明者となる。
定年後、第二の人生設計を立てていたところに抱えた大きな障害。生きる希望をも見出せず失望の淵に立たされた時期を乗り越え、現在、同じ境遇の人たちを救うため介護福祉について勉強中。

介護を受ける立場にかかわり、介護をされる皆様に何を求め、また考えているかを視覚障害の症状、環境変化がありすべての方の問題とか解決策とはなりませんことをご理解頂き、あくまでも私個人として利用者が感じた点を記述してみたいと思います。

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