へるぱ!

今なら語れる「障害を越えて」

第10回 「お先にどうぞ!」の力

 東日本大震災から6年が経過しましたが、復興までまだまだ時間がかかりそうです。色々な分野の方々が被災者の皆様に寄り添い、できる限りのお手伝いをしていらっしゃいます。

 その一人、田部井淳子さんは、女性として世界で初めて世界最高峰のエベレストおよび七大陸最高峰への登頂に成功したことで知られる登山家です。このたびの震災被災地、「巨大古木、しだれ桜」で有名な福島県田村郡三春町の出身者でもあります。その田部井淳子さんは、東日本大震災被災者への支援活動として東北地方の高校生らとともに2016年7月27日富士登山に参加。7合目で断念し、これが生涯最後の登山となって2016年10月20日腹膜癌でご逝去されました(享年77歳)。

 その時余命宣告を受けていた田部井さんですが、東北の高校生に登山の魅力や面白さを伝えるため、「登山マナーにおける約束事」を話す姿が印象に残っています。登山中、登り降りする人達と出会い、すれ違う際に、午前は「おはよう!」、午後は「こんにちは!」と声をかけるそうで、狭くて一人しか歩けない細い山道では、後ろから登って来た方に「どうぞお先へ」と道を譲る心の広さを持ち合わせた方でいらっしゃいます。こうしたエピソードに私は大変感心しました。

 私が健常者だった頃を思い返すと、一度も先頭を譲った記憶がありません。これは仕事上についても同じで、「あいつには負けたくない!負けない!」といつも思っていました。企業戦士として、当時多くのサラリーマンが「モーレツ社員」として気丈に働いていた頃の自分です。そのため、当時の自分を省みて田部井さんのこの一言に心を打たれたのです。

 視覚障害者となり、人前をうろうろ歩くことになっても、一度も道を譲ることのなかった私ですが、この一言を早速実行に移してみることにしました。いつもの散歩ルートで、ご夫婦で散歩をされる方がいらっしゃいます。

 いつもの時間に後ろからご夫婦が歩いて来られたので、道をあけて「お先にどうぞ!」と道を譲ると、翌日からご夫妻の返事は「お先に失礼します」でした。視覚障害後 「♪悲しくて悲しくて、とてもやりきれない、この限りないむなしさの救いはないだろうか♪」の歌にある毎日でしたが、この出来事をきっかけに、私の心に重くのしかかっていた何かが溶けていくようでした。

 「視覚障害者としてご迷惑をおかけしているのではないか?」と、私に引け目があったとは思いませんが、お二人からの返事が「お先に失礼します」だったことで、健常者と対等に話ができたと感じられたことも私にとっては大きな発見です。

 元気な時代には一度も相手の気持ちを理解しようとせず、争うように先を行く人に「どけ!どけ!」と言わんばかりで、他人への思いやりなどひとかけらもなく黙って追い越していたように思います。そんな自分が本当に恥ずかしくなりました。弱者も強者も差別をしない相手を思いやる登山マナーこそ、幾度もの登頂を成功に導いた秘訣なのではないだろうかと思うのです。

 東北の高校生に限らず、福祉介護に携わる方々がその精神を引継いで頂ければありがたいです。

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コラムニスト紹介

山田 猛

ガイドヘルパー(視覚障害者)

プロフィール

1941年 中国・元満州国安東省生まれの引揚者。

1969年 立正大学経済学部を卒業後、運輸会社へ入社。航空貨物部門で海外宅配便と新規事業開発で書類宅配便クーリエサービス業務の立上げの責任者となる。のち、ISO品質管理室長として全国支店を飛び回り指導に励む。また会社品質向上を担当。

2000年9月 定年半年前に角膜移植手術を受けるが、移植に失敗。強度の視力障害を持つ中途失明者となる。
定年後、第二の人生設計を立てていたところに抱えた大きな障害。生きる希望をも見出せず失望の淵に立たされた時期を乗り越え、現在、同じ境遇の人たちを救うため介護福祉について勉強中。

介護を受ける立場にかかわり、介護をされる皆様に何を求め、また考えているかを視覚障害の症状、環境変化がありすべての方の問題とか解決策とはなりませんことをご理解頂き、あくまでも私個人として利用者が感じた点を記述してみたいと思います。

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