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介護を受けるプロ

第35回 危篤       2019/12/11

 2018年のゴールデンウィークは、風邪をひき2週間以上寝込んでいました。3週間ぶりに外に出ると、桜の花は散ってしまい、花を見ない春でした。私は風邪をひいてしまうと、咳が止まらなくなり、息が止まってしまうのではないかと思うほど苦しい時間が続きます。夜になるとさらに激しい咳が出て、暗くなるのが怖いくらいです。常にうがいをして栄養のバランスを考え、風邪をひかないようにしていましたが、優生保護法問題で日本中の新聞社・テレビ局に追いかけられ、疲れていました。いくら風邪の予防対策をうっても、心身ともに疲れてしまうと風邪を防ぐことができないと、あらためて反省しました。私の悪いクセは、『喉元過ぎれば熱さを忘れる』ということわざどおり、病気の症状が出ないと休まない、ということです。

 私は妊娠7ヵ月で産まれ、医師から「この子はもう助からないから、家に連れて帰りなさい」と言われ、長くは生きられないと告げられたそうです。それから小学校まで、40度以上の熱が出たときに「もう助からない」と医師に何度言われたことか。歩行器がストーブにひっかかり、ひっくり返って目の上をパックリ切ってしまい、両親が馬車に乗り病院に連れて行っても、私の体は輸血ができない体質なので「帰りなさい」と言われました。小学校のころ、学校の玄関のコンクリートで転び、3時間気を失っていました。夜、突然熱が出て病院に行くと、「今晩が山ですね」と医師に言われたそうです。

 脳性まひによる不随意運動で首の骨がすり減り、3回手術を行いました。そのときも咳が止まらなくなり、危篤状態になりました。でも私は退院し、かかりつけの医師に診てもらったとき、保険のきかないリンデロンという薬を吸入して、命を食い止めました。入院していた所から処方された薬がすべて間違っており、医師が怒って薬を床にたたきつけ、全部の薬を取りかえてくださいました。

 また、軽い気持ちで胃の検査をしたとき、悪性リンパ癌が見つかり、入院先で「小山内さんはもう生きられません」と言われました。

 今年で私は65歳になります。死ぬと思ったらすぐ医者を変えて良い薬をいただき、生きてこられました。生きるチャンスを神様は何度私に与えてくださったのか、生きるレールをだれかに敷かれているような気がします。もう『危篤状態』と言われても、私は怖くありません。人は死に向かって生きています。ヘルパーさんのあたたかなケアに感謝をして生きることが、長生きの秘訣だと思っています。

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コラムニスト紹介

小山内 美智子

障害者自立生活センター 札幌いちご会 理事長
前社会福祉法人アンビシャス施設長

プロフィール

1953年生まれ。
障害者自立生活センター 札幌いちご会 理事長。前社会福祉法人アンビシャス施設長。
自身、脳性麻痺で「ケアを受けるプロ」を自認。

2008年 悪性リンパ腫を発病したが、半年の闘病生活を経て、社会復帰を果たす。
北海道大学医学部作業療法学科で教鞭をとるなど、介護教育に力を入れている。

また、著書『わたし、生きるからね』(岩波書店)などほか多数あり。

著書・出版

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