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介護を受けるプロ

第28回 ヘルパーという職業に就いてほしい       2017/7/13

慢性的なヘルパー不足により、全国の在宅で生活する障がい者や高齢者が困っている。30年くらい前まではボランティアが、私たちのケアをしてくださっていた。しかし、将来に保証はなく、すぐ一般企業にいってしまうという現実があった。これではいけない、と国はヘルパー制度に力を入れはじめた。しかし、ヘルパーさんは今でも時給制の人が多く、将来への希望を抱きづらい。

いま私のところに25歳の女性が来て、ヘルパーを行っている。彼女は初めてケアをした障がい者と意見が合わずに別れてしまった。しかし、彼女のよいところは「1人目が合わなかったら、違う障がい者のところへいく」というチャレンジ精神である。今では4人の障がい者のケアをしている。彼女も時給制で働いているが、同年代の子たちよりもよい月給になっているようだ。

ヘルパーさんによっては、1人の障がい者と意見が合わないと、もうヘルパーの仕事はしないと言ってしまう人もいる。残念だなと思う。障がい者も1人の人間。性格もみな違う。気が合う人と合わない人がいるのは当たり前である。「障がい者はわがままだ」と、ひとくくりにしてほしくない。障がいがなくても、誠実な人もいて、わがままな人もいる。人間みな同じ。彼女のように意見の合う人を見つけて、ヘルパーを続ける人が増えたら、もっとヘルパー人口が増えると思う。

ケアを受ける側も、気の合ったヘルパーさんをどう見つけるか、社会勉強だと思う。人の手を自分の手にするのは時間がかかる。すぐに諦めず、根気強く教えていくしかない。
 このような考えを、私たちは生きている限り言い続けなければいけない。

「いつヘルパーさんが辞めていくかわからないの」と不安を抱えて、夜も眠れない人がいる。切なすぎる。子どものときから、ケアを受けるということはどういうことなのか、学校の先生や親、障がい者の先輩から習うべきであろう。そのようなことを繰り返し行っていかなければいけない。

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コラムニスト紹介

小山内 美智子

障害者自立生活センター 札幌いちご会 理事長
前社会福祉法人アンビシャス施設長

プロフィール

1953年生まれ。
障害者自立生活センター 札幌いちご会 理事長。前社会福祉法人アンビシャス施設長。
自身、脳性麻痺で「ケアを受けるプロ」を自認。

2008年 悪性リンパ腫を発病したが、半年の闘病生活を経て、社会復帰を果たす。
北海道大学医学部作業療法学科で教鞭をとるなど、介護教育に力を入れている。

また、著書『わたし、生きるからね』(岩波書店)などほか多数あり。

著書・出版

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