2008年、私は55歳のとき「悪性リンパ腫」という病気にかかり、あまり長生きできないことがわかった。医者に7年は生きられると言われ、7年も生きられたなら何か一つ大きな仕事ができると思った。しかし、リンパがんは今では早期発見すると治る病気になった。がんが治ったお祝いに2011年には息子と一緒にニューヨークへ行ってきた。旅費は私と秘書の2人分で済んだ。私は障がいが重くなるにつれ夜中の寝返りのケアが必要なので、息子と行けば経費が少なくて済むのだ。
そして2012年、ちょうどカザフスタンに知り合いができたので、ケアの人2人と通訳、私の4人で行った。4人の経費はさすがに私もつらいので、私がつくった札幌いちご会から通訳者の旅費だけ出していただいた。一体いくらかかったのか覚えていないくらいお金がかかった。 カザフスタンはまだ日本の35年くらい前の福祉だ。しかし障がい者たちは、日本の自立生活センターから学び、小さなテナントで障がい者同士助け合って運動を行っていた。「一人ぼっちじゃない、みんなで生きよう」という言葉がキャッチフレーズだ。
旅行のケアはやはり何度経験しても難しい。2週間なので絶対に揉め事は起こしたくない、と私は言いたいことを2/3くらいにしていた。しかし、とてもくだらないことで私はイラついてしまった。5kgの米を日本から持って行ったのだが、ケアの人たちはひと言も断らず、自分で買ってきたかのように「お米持ってきてよかったね」と言って食べていた。(この米は私が買ったのよね…)と内心つぶやいた。「ごちそうさま」とひと言言ってもらえれば私の心は温かくなっていたはずだ。
旅行のケアはちょっとしたことで意見が食い違うこともある。私はケアをしてくださる人たちの旅費はすべて自分で持つことにしている。そうでなければ私の意見が通らないときもあるからだ。障がい者のみなさんはこういうことをみんな経験している。旅行に行き、帰ってきてから顔も見たくないという関係になった人もいる。
楽しい旅行をするためにみんなで優しさを集めていかなければいけない。